工業用空気清浄機の開発と製造を通して、地球温暖化という壮大なテーマに立ち向かう株式会社ハイデック。科学や根拠を重視した研究開発を推し進めるのは、大倉重信社長だ。数々のアイデアを出し、日々研究開発を続ける74歳は、苦労人でありながら柔和な人柄。拝見すると幸がありそうな福耳の持ち主だ。
「教育者だった祖父が名付け、かの大隈重信と一字違いの氏名を持つ。「情熱が、大隈重信との共通点かもしれないですね。研究や開発ではお金は貯まりませんが、情熱があるから続いていますから」と朗らかに笑う。
「うまくいかないことは当たり前」と達観し、同時に「3年くらいの時間をかければ、モノは作ることができる」という独自の信念を持つ。「一種の正義感」で突き進んできたという大倉重信社長の来歴と、国や企業の概念を変える鍵を握る、現在の取り組みについてお聞きした。
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5人兄弟でアルバイトをして家計を助けた幼少期
ハイデックは1982年の創業です。私は三重県出身で、5人兄弟の次男として生まれました。小学校3年生の時に父が怪我をして、入退院を繰り返したので、それからは母一人が働いて、5人を育ててくれました。学校から帰っても夕飯があるわけではないので、ごはんに醤油や砂糖をかけたり、麦飯に水をかけたりして食べる暮らしでした。
生活費を助けるために、日曜日には兄弟全員でアルバイトをしました。小学校低学年の頃は、採石場でバケツに何杯も砂や砂利を汲んで、工事用のトラックに積む仕事。小学校高学年になると、山に炭の材料となる材木を取りに行き、炭焼き場へ運ぶ仕事をしました。山の中の道なき道を、背負子(しょいこ)を背負って降りるのです。中学生になると、朝は4時起きで、2倍に増えた積荷を背負っていました。
今、研究開発が難航した時に、人からは「よく、音をあげずに長い間取り組んでいられるね」と言われますが、私は幼少期の経験を通して、「うまくいかないことは当たり前」だと思っているので、根気強いのかもしれません。
また、現在に続く、好奇心の強さがわかるエピソードもあります。小学3年生の時に、「電気や光って、本当にそんなに速いのか?」と疑い、試したことがあるんです。そこで、家庭用コンセントの100ボルトの電流を触ってみたら、肩までドーンと感電して。それ以来、電気が苦手になってしまいましたね。大人になってからも、1万ボルトの電気を使う実験中に、感電したことが2回ありますが…。
私は、すでに世の中に出回っているものや人のコピーには興味がなく、自分で確かめて、何かを作ってみたいと思っていました。ないものはアイデアを出して作るべきではないか、そこに自分の存在価値があるのではないかと、常に考えていました。
一風変わった、トライボロジー関連会社のサラリーマン時代
高校を出ると、時代は高度成長期に入りかけていました。人手が足りず、縁があって、今でいうトライボロジー(摩擦)関連の機械専門商社に入社しました。私は文系の人間で営業職での採用でしたが、当時は文理入り混じっていたので、独自で勉強し、技術営業のような立ち位置でした。その後、商社がドイツとの合弁会社となりメーカーに。会社は「フォーゲルジャパン」となりました。
最近の機械は素材の膜が油膜を形成するオイルレスが多く、マーケットは小さくなりましたが、工作機械にとって油膜は必要なものです。私が担当していたのはそういった仕事でした。
スピンドルが回転して穴が開く時など、機械が動くところに個体接触が起こると削れますが、そこに油膜を敷くと、物が滑るようになりますよね。油の形成で個体接触を分離するのです。そういった箇所が、工作機械には何十か所もあります。それを一定時刻ごとに計量して、油膜の働きによって、機械を磨耗させないようにする必要があります。滑らない状態だと、摩擦熱による「かじりつき」のように、熱を持ってしまいます。
当時は高度経済成長期。サラリーマンでしたが、当時流行していた歌の、『サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ』という歌詞は、好きではありませんでした。私は、社会に対する「このままでいいのか」という悶々とした思いを、「独立したつもりで仕事をしよう」と考えることで発散していました。
例えば、「売り上げで大阪支社を抜こう」と考えたり、「東京支社を抜いて、中部地方をトップにしよう」と目標を立てたりしました。それが達成できたら、次は「3か月連続で売り上げをトップにしよう」など。そうすることでモチベーションが維持できましたし、いつも自分で決めた目標だったので、気持ちが人に左右されることはありませんでした。
また、単に取引先の御用聞きではなく、一つの技術を突き詰めたり、関係がないことまで調べたりしていたので、一風変わったサラリーマンだったのでしょう。顧客とは深い信頼関係を築くことができ、「アポイントはいらないから、年に一度は必ずお前さんと会いたい」と言ってくれる取引先の重役もいました。
34歳で商社として独立、独学でポンプなどの勉強を開始
ただ、生来の変わり者なので、サラリーマンが肌に合わなかったんです。会社の先輩と喫茶店へコーヒーを飲みに行くと、いつも同じ愚痴を聞かされました。私はもっと建設的で、前向きな未来の話が聞きたかった。そこである時、我慢するのをやめ、「コーヒーがまずくなるからやめてください」と言いました。
会社からは給料を上げるからと慰留されましたが、1982年、34歳の時に独立。小牧市でハイデックを立ち上げました。当初、お金は170万円しかなかったので、330万円を借りて、500万円の資本金で、商社として妻と2人だけで独立しました。高度経済成長期で、社会全体に夢がある時代でしたから、不安はありませんでしたね。
小牧市との縁は、サラリーマン時代の外注先がこの付近で電気関係の仕事をしていて、土地の価格と折り合いがついたからです。別の場所で創業しましたが、1992年に、現住所に本社社屋と工場を新築しました。
独立までに業界歴があったため、「独立したら何を持ってきてくれるの?」「新しいものを作るが、部品はどれを選んだらいいか?」などと、客先には創業時から自分の目利きを頼りにしてもらいました。また、早い段階で、サラリーマン時代に潤滑油の件で通っていた大手自動車メーカーの客先を顧客にできたのは幸いでしたね。
ある時、客先から「数社あるポンプメーカーの中から、どれを選んだからいいか」と聞かれたことがあり、ポンプの勉強を始めました。例えば、ミストコレクターを作るのにも、いろいろな知識がなければいけません。
この時の勉強は、のちにポンプを開発する時や、大手自動車メーカーからの依頼で、環境と人体に優しいミストコレクターを開発する際に役立ちました。
また、自分はエンジニアではないので、ものを作り上げるために必要な詳しい知識については、わからない面がありました。独立してから知り合った同い年の社長に設計力があり、私のアイデアを形にしてくれたことに助けられました。人に恵まれましたね。
オイルミストや熱に囲まれて働く人の職場環境を改善したい
創業の翌年には、テラルキョクトウ社と共にシールレス・クーラントポンプの共同開発に着手しました。クーラントポンプはシリーズ化し、高粘度の油性シリーズなども発売。大手自動車メーカーのクーラントポンプ規格第一号を取得したことは大きな成果でした。
また、クーラントポンプの研究や開発は、その後のいくつかの設備の開発につながりました。中でも、SDGs対応商品としてシェアを誇る「エクォファース・エクォア」は、作業環境快適化と省エネルギー、CO2削減、そして大幅な原価低減を実現した画期的な装置です。加工機が排出するオイルミストを、機械に取り込んで除去する装置で、ミストコレクターと空冷チラーからの排気負荷熱を削減し、本体から低温空気を排出します。また、追加機能として、冷却装置メーカーとタッグを組み、空気を冷却して排出する機能も加え、制御盤やスポットクーラーを冷やすことができるように開発中です。
私は、商社時代からいくつもの工場を訪れる中で、職場環境の悪さが気になっていました。事務方だけはきれいでも、工場内は煙っていて、「働く人は、煙や油の中で一生を終えるのか」と愕然としたことが何度もあります。
工業用機械のフィルターは真っ黒で、当時、働く人はマスクなどしていませんから、肺のフィルターには煙や、飛散した切削油が入ってしまうことになります。人は1分間に約20回呼吸をすると言われますが、この状況で8時間から10時間働くと、どうなるのだろうかと。その思いは、52歳の時に開発した、ロータリー電気集塵機「ブルーエポ」へと繋がりました。
また、以前から「工場内の蒸し熱さを、なんとかできないか?」と常に考えていました。加工機の進化で物が移動するスピードが上がるにつれ、機械の摩擦熱がどんどん上がるようになりました。制御盤なども熱くなっています。昔は大きかったタンクが小さくなったこともその理由です。
1つの工場で、夏場は熱中症で倒れる人が何人も出たというケースを目にしました。大手のグループ会社でもそのような状況でしたから、下請け会社の環境はもっと過酷なものでした。
2008年頃からのリーマン・ショックの際は、私たちも大変で、一旦、仕事がゼロになったことがあります。その時、私は考えました。「環境を改善しながら、お金になる仕事は何に関わることだろうか?」と。そこで思いついたのが、「熱」のことでした。私は元が理系ではなく、専門家ではないので、「本当にそうだろうか?」と絶えず物事の常識を疑う性格が幸いしたのかもしれません。
企業が第一エネルギーを半減させることで、電気代を大幅に節約し、原価低減ができると呼びかけられるような、環境と人に優しい設備を開発しようと考えました。そして、新しいものを生み出す研究を始めたのです。現在は、工場への「エクォファース」の普及と共に、工作機メーカーに対して、熱が高くならないような設備計画を提案しています。
CO2削減という地球規模の問題に挑む
また、10年ほど前から、CO2削減に関心を持ち、何かできないかと取り組んでいます。国、ひいては地球規模の問題に、小さな会社一つで取り組んでいるのですから、「お金にもならないのに、一体どうして?」と聞かれることも多いのですが、「良いものを、皆の元へ早く届けたい」という、一種の正義感だと思います。
工場の加工機から排出されるCO2の量は莫大で、大手自動車メーカーであれば、1800万トンのCO2を排出しています。それが削減できれば、地球環境にとって大きなことではないでしょうか。地球環境のために、産業界ができることはもちろんあります。気づいた人がやるしかありませんから、やるからには先頭を切りたいと思っています。
現在トライしているのは、水による工場内の空気の冷却機の開発です。空冷チラーメーカーと組んで、実験を進めています。空冷チラーは電気によって安く機器を冷やすことができますが、水を使うとなると、付帯設備の配管工事などに費用がかかるので、企業は及び腰になってしまいます。それをどう解決するかが鍵だと思います。
工場では、排出した熱をクーラーで冷やすために、さらにエネルギーを使います。室内機と室外機が共存する環境では、エアコンの効き目もあまりありません。かつては使われていなかった空冷チラーが、今では各加工機に個別に取り付けられ、エネルギーを消費しています。「空冷チラーは安い」「水で冷やすと配管が高い」ということばかりを考えた結果、増エネルギーの設備計画になっていることに、皆が気づいていないのです。
「熱とエネルギーと費用の問題を、どうすれば解決するのか?」こういったところに、アイデアが必要だと思います。
産業用空気清浄機の開発で感染症対策に乗り出す
また、現在は新型コロナ対策を筆頭に、SARSやMERSといった感染症対策にも広く対応した、産業用空気清浄機の開発に乗り出しています。温度を引き下げるラジエーターフィンの表面に、有機物の吸着能力に優れたチタンアパタイトをコーティングして、特殊な表面加工を施し、そこに触れながら空気が通過することで、菌やウイルスの粒子をフィルターに吸着して抑制しながら、空気を冷却する仕組みです。現在、エビデンスを得るために、名古屋市の食品会社に元素分析を依頼し、群馬県にある検査機関に効果測定を依頼している最中です。コーティングを何種類もテストし、両面での反応を確認するなど、わからないことだらけですが、完成させて、いずれは「エクォファース」にこの機能を追加したいと考えています。
また、県内の大学の研究室とのタッグで、大手メーカーの製造ラインへ、加工熱を減らす設備計画の提言を行うための共同研究も開始しています。
「空気の浄化」というと、マーケットは少ない。でも、「空調の熱エネルギー」というと、マーケットは壮大になります。環境対策をしながら省エネも実現できるということを、新たに製品を開発しつつ、企業に訴えていきたいと思います。
私にとって、不景気や現在のコロナ禍のような逆境は、辛くはありません。その理由の一つは、どう乗り切るか自分が試されている感じがするから。もう一つは、次の1年を同じように過ごしてはいけないと、自分を律することができるからです。振り返った時に、同じ自分ではダメだし、同じ仕事をしていてはいけない。厳しい状況下で学ぶことは大きいものです。
開発したい製品のアイデアはどんどん湧き出てきて、毎日がチャレンジだと感じます。
地球環境について、近年では企業の考え方も変わってきています。大手が環境に良い方に動けば業界全体が動き、いずれ国の仕組みも動くはずです。環境投資は5年後、10年後といった長期的な視点でないと効果が見えないため、企業側には難しい側面がありますが、自分が現役である間に形にしたい。地球環境について、私が次の世代への道筋をつけたいという使命感を持っています。
会社所在地
〒485-0075 愛知県小牧市大字三ツ渕字東阿原1520-1
TEL(0568)75-0470 FAX(0568)73-5346
E-Mail:hidec82@hidec-82.co.jp
Webサイト URL
代表者
代表取締役社長 大倉 重信
事業内容
エクォファース/ミストコレクタ/ロータリー電気集塵機/蒸気捕捉装置/HAD環境数値管理システム/クーラントポンプ(テラルキョクトウ共同開発)/ミスト対策プランニング・施工
【資本金】
2,000 万円
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